猫日和⑭<猫の幸せ、ひとの幸せ2>

猫日和⑭<猫の幸せ、ひとの幸せ2>
ふもふも
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実は、この連載を書いている最中に、顔見知りの猫が、
我が家の軒下に生まれたての子猫を放置するという出来事がありました。

目も開かない時期の子猫を保護するのは初めてで、保温、排泄の世話、哺乳瓶での授乳、と奮闘しました。
小さな小さな、片手の平にも余る軽い命。
オシッコをした、ミルクを少し飲んだ、と一喜一憂して眠れぬ数日を送りましたが、
筆者の手の上で息を引き取りました。

筆者は泣き虫です。
メダカ一匹、金魚一匹の死にもいつも大泣きです。
涙も後悔も反省も、いつも後を絶ちません。
それでも、回を重ねるごとに少しずつですが、「後悔の無いさよなら」が出来るようになって来たように思います。

■外遊びのこと

我が家の周りを見る限り、外遊びをすればするほど、猫は短命になります。
交通事故の可能性も増えます。
どんな可能性も覚悟して、それが猫の運命なのだ、寿命だったのだ、幸せだったのだと考えることは出来ます。
しかし、その子を失う悲しみを覚悟することは、不可能です。

それならば、家の中で長生きしてもらい、共に過ごす時間を長く大切にしたいと我が家は考えました。
弱虫で泣き虫が揃う我が家の、我がままな選択です。

■介護のこと

自分よりも後に生まれたのに、いつの間にか自分を追い越して年老いて行くのが猫たちです。
その年老いた先に待っているのは、体が自由に動かない、排泄が思うように出来ない…。
ヨダレが垂れたり、吐き戻したり、毛の艶が失われてボロボロの、みすぼらしい汚らしい姿です。

我が家の猫の介護は、家中至る所に排泄される、という状態が半年続きました。
朝起きたら、まずは糞尿の位置を嗅ぎ当てて掃除。
一日中臭いが気になります。
排泄の合間にも、吐き戻した汚物の掃除、血が混じったヨダレの拭き取りがひっきりなしです。

しかし、です。
ボロボロの体、糞尿が付いて汚れた体で、その猫はゴロゴロと喉を鳴らすのですね。
爆発しそうな思いで掃除している筆者の目を見て、唯一元気な時と変わらない、喉の音を鳴らすのです。

必死で掃除に追われ、猫はさらに痩せ衰えて行き、
ある昼、頭を撫でた筆者に盛大なゴロゴロで応え、そのまま息を引き取りました。

■介護をさせなかった猫に

対照的に、全く介護をさせずに逝ってしまった猫も居ました。

先の猫の凄まじい経験から、「この子もここからが正念場だ」と覚悟を決めたのと同時に、
さらりと息を引き取りました。
まるで、「自分は面倒を掛けたくない」と言うように。

筆者は空振りのあまり、悲しさよりも寂しさが募り、数日ぼんやりとしていました。
二度と経験したくないと思っていた壮絶な時間は、猫から贈られたさよなら、でもあったのですね…。
後悔しないお世話をして、後悔のないさよならをする。
おとな猫の場合も、一時預かりの場合も、とてもとても難しいことです。
それでも、不可能な願いでもありません。
何をしてあげたいか、何をしてあげられるか、
家族の中での分担も含めて、良く話し合うことが、後悔しないための第一歩かと思います。
ふもふも
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